月を映す水面
*八千代←佐藤←相馬
*162品目(9巻)の話
口数は少なめな金髪長身のヘタレ。無愛想で不器用なのに手先は器用。実はとても優しくて、凄く一途だからからかうと面白い。そして俺はいつしか…
「相馬」
「え…あ、なぁに?佐藤くん」
不意に名前を呼ばれて我にかえる。今まで見つめていた佐藤くんの横顔は真っ直ぐに俺の方を向いていて少しだけ焦った。さすがに気付かれたかな、見てたの。俺も無意識だったんだけど。
「音尾のおっさんみてぇな顔してるぞ」
「…例えが具体的すぎるよ。さすがにまだ若いんだけどなー」
音尾さんみたいって失礼だけど褒められてはいない気がする。そんな困ったような顔してたかな。
「疲れてんだろ。今客少ねえから休憩とってこいよ」
「大丈夫だよ、これくらい。ていうか俺より佐藤くんのほうが…」
「アホか。んな顔で言われても説得力ねえよ。とっとと行かねえと山田呼ぶぞ」
不本意ながらう、と唸ってしまったけど山田さん自体が嫌なわけじゃない。ただ今彼女を相手にするのは相当疲れそうで…いや、いつも疲れることにはかわりないんだけど余計しんどそうというか。
「…んー…じゃあお言葉に甘えさせて貰うけど…本当にいいの?」
「ああ。客が増えて来たら問答無用で働かせるからそれまでは大人しくしてろ」
「うん。ありがとう、佐藤くん」
俺はそう言うと厨房を出て休憩室へ向かう。実を言えば今日は朝から少し体がだるかったからこの気遣いは本当に嬉しかった。風邪とかではなくちょっとした疲労の類いだと思うから休みをとるわけにもいかない。というかとりたくなかった。他の人に迷惑がかかるし何より会いたい人がいるから。
なんて、いつからこんなふうに思うようになったんだろうか。一緒にいたい。話したい。知りたい。触れたい。これはユウジョウなんかではなくて。じゃあこれは、と思考しているうちに休憩室に着き、扉を開く。
「あ、相馬さん!お疲れ様ー」
「やあ種島さん。お疲れ様」
中では勤務を終え学生服に着替えた種島さんが椅子に座っていた。
「相馬さんも上がりなの?」
「いや、ちょっと体がだるくてさ。少しだけ休憩貰うことにしたんだ」
言いながら適当な椅子に腰かける。気付かなかった、大丈夫? と心配してくれた種島さんに笑顔で大丈夫だよ、と返しふと視線を落とすと机の上には飲みかけのジュースと写真が数枚置いてあった。
「それ何の写真?」
「あ、これ?伊波ちゃんの高校の文化祭の写真だよ。お互い見せっこすることになったの!」
「へぇ。いいね、文化祭」
何気なくその写真の一枚を見る。写っているのは飾り付けられたある教室の、伊波さんと友達らしきふたりの三人。ひとりは髪を結んでいる気が強そうな子。もうひとりはふわふわした髪の天然そうな子。仲が良いんだろうと思わせる写真だった。
ん…?
『それ』はあるいは主体として写っている三人よりも俺の目を惹いた。ただ画面の片隅の何気ない背景。壁に飾られてある一枚の絵画。吸い込まれそうな夜空に散りばめられた星、蒼のような藍色のような水面に映る厳かな月。夜の海を描いたとても綺麗な絵だった。有名な画家が描いたものかそれとも美術部とかが描いたものか俺にはわからないけど、只純粋に惹かれた。
「相馬さんぼーっとしてるよ。本当に大丈夫?何か飲みもの持ってこようか?」
「ん?ああ、ごめん。大丈夫だよ。」
そう答えたけど種島さんの心配はなくならなかったようで、少し考え込む仕草をした後、
「相馬さん、私帰るからゆっくり休んで!」
と言って立ち上がった。自分が居たら俺が休めないって思ったんだろうな。種島さんは机の上の写真を集めてもともと入っていたであろう封筒にしまうと、鞄からメモ帳を取り出して何かを書きはじめた。そしてそれを切り取って封筒の下にはさむ。
ちらっと見えたところから推測するに、伊波ちゃんありがとう! 今度は私が持ってくるね、辺りのメモだと思う。
「じゃあお疲れ様でした。お大事にね!」
そう言いながら出ていく種島さんをありがとう、お疲れ様と見送って休憩室にひとりになる。
本能のままに机に突っ伏して目を閉じてみた。真っ暗で静かな空間。その中で今日佐藤くんと交わした言葉を思い出していく。おはようから始まって道具の点検、在庫の確認、オーダー分担、ちょっとした雑談…それからさっき。
ふとこちらへ向かってくる足音が聞こえて慌てて起き上がった。同時に考えていたことに恥ずかしさを覚える。何か、最近おかしい。なんていうか…伊波さんの『寝ても覚めても小鳥遊くん』と近いような感じだ。
「失礼します」
カチャ、と音がして休憩室の扉が開く。先ほどの足音の主は伊波さんだったようだ。…………伊波さん!?
「……!」
「……!」
お互いに固まる。死ぬ。俺死ぬ。
「そ、相馬さん…休憩中、ですか…?」
「え…や、そ、そろそろ戻る!戻らないと色々危ないし…!」
まずい。この流れは相馬さんごめんなさいが聞こえてしまう。何とか殴られずに済む術はないかと辺りを見る。…あ。
「伊波さん、それ!種島さんが置いていったやつ!」
「え?…ああ、文化祭の写真!置いてあるからって帰りに言ってたんですよ」
そう言いながら伊波さんは机に近付き封筒とメモを手に取る。今だ。
「じゃあ、お疲れ様!俺キッチンに戻るから!」
空いた隙間から扉へ踏み込み急いで外へ出てそのまま厨房へ向かった。
危ないところだった。体がだるいのなんて気にならないくらい焦った。基本的にはいい子なんだけど…うん、是非とも遠くでからかいたいタイプだ。
「お。そろそろ来ると思った」
キッチンに入ると注文を作ってる佐藤くんがそう話しかけてき た。
「俺まだ死にたくないしね」
「お前が休憩行ってから伊波の上がりまであんま時間なかったけど休めたか?」
「うん、大分楽になったよ。ありがとう」
そう返すと佐藤くんはそうか、と呟いて料理を盛り付けた。そしてホールの人たちへと渡しにいく。
「4卓の注文上がったぞ」
「はーい」
ホールの制服に不似合いな刀を僅かに揺らしながら轟さんが受け取りに来た。轟さんは料理を持ち上げたとき俺に気付いたようで、
「あ、相馬くんもう大丈夫なの?」
と声をかけてくれた。そういえば休憩をとる連絡をしてなかったと今さらながら思い当たるが、そこは佐藤くんが請け負ってくれたらしい。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
「そう、それなら良かったわ。あんまり無理しないようにしてね」
そう言って4卓へと料理を持っていく轟さんを見送り、俺も自分の仕事に取りかかる。
「佐藤くん、今日は色々ありがとね」
「ん」
そんな感じの会話をして閉店時間まで俺なりに頑張って働いた。
仕事が終わって帰る準備をしているとき、佐藤くんがシフト表を見ているのに気付いた。そういえば新しいシフト表になってから度々確認している姿を見かける。まあ大方、轟さんと重なった休みをどうするか悩んでるんだろう。ちょっと前、それでからかったりもしたけど…佐藤くんのことだから今回も行動できずじまいになるんじゃないかな。
「佐藤くん、帰らないの?」
「ん、ああ…」
「え?送ってくれるの?」
「ああ…ってふざけんな」
最初が生返事だったからノリでいけると思ったんだけど、失敗しちゃった。残念だなーとぼやきながら駐車場で佐藤くんと別れて帰路についた。
そしてそれは翌日の出来事。暇潰しに誰かからかいに行こうとしてたらすぐ近くに佐藤くんと轟さんの姿があった。よく見ればシフト表の前で話をしていて、どくん と心臓が跳ねた。佐藤くんがシフト表を指差す。何を言うんだろう。何て言うんだろう。
「?さとーくんがお休みの日?」
どくん。
「…お前も休み」
ああ、やっぱり。
「あらホント」
「この日」
言うのかな。誘うのかな。なんでだろう…ちょっといやかもしれない。
「二人で飲みに行こう」
そう聞こえた瞬間。
「い、」
嫌だ、と声にだしそうになった。直前ではっとして俺は
「やったぁーー!」
と叫んだ。ふたりには驚かれたけど、本当のことを気付かれるよりはマシ。
「やったー!佐藤くんがやったよー!」
なんて言いながら、店の奥へ入ろうとする。まるで逃げるように。いろんな話し声が聞こえる筈の店内で、都合は大丈夫だという轟さんの声だけが嫌によく聞こえた。
休憩室を通って誰も居ない更衣室へ入りロッカーを背に座り込んだ。
飲みにでも誘ったら?って言ったのは俺だし、佐藤くんが幸せならそれでいい。なのに。胸の中でどろどろと何かが渦を巻いていく。ああ、…好きなんだ。俺はどうしようもないくらい佐藤くんが好きなんだ。叶うはずなんてない。馬鹿馬鹿しいけど確かな恋。だからこれだけのことがこんなにも悲しい。
不意にあの絵が頭に浮かんだ。
昨日種島さんに見せてもらった写真に写っていた夜の海を描いた絵画。月と星を映す海。どんなに焦がれても、何も届かない。煌めく月とその傍で輝く星をただ映すだけ。それだけしかできな い。
大丈夫。苦しいのは今だけ。俺は大丈夫なんだ。ふたりが飲みに行ったら、次の日くらいに思いっきりからかってあげよう。
さて、仕事に戻らないと。立ち上がって俺は厨房へと戻った。
月を映す水面
(その海が、俺みたいだなんて)
fin